習字について考える [パパねこの視点]



習字について考える

今朝、ミミは大荷物です。
習字セットとお裁縫セットを持って行きました。
それから体操服、水筒、もちろんランドセル。
すべて授業に必要なものです。当たり前か・・・。

今日は一時間目から習字ということで、ドッジボール大会もあり、
図工で展覧会用の刺し子をつくるので裁縫セットも必要だということです。
ポンポネットのソーイングセット、活躍しています。

[猫]ミミのお習字セットは、らしくない外見です。


P8150288.jpgところで、習字なのですが、ふと、どうしてそんなものが授業であるのだろうと疑問が浮かびました。
低学年の頃は、詰めの中まで黒くして帰ってきたものです。さすがに今はそんなこともないですが。
習字って、たかが字を書くだけじゃないですか。
漢字を覚えるわけでもなし、文章を作るわけでもなし、何のためなんでしょう。
筆が必要で、習字の筆はそれ以外には使えない。
将来、何かの役に立つわけでもなさそうだ。
そんな習字がどうして授業に組み込まれているのでしょう。

もちろん、パパねこだって小学校の時は習字ありましたよ。
そう言えば、ちまたにお習字教室ってありますね。
少なくない人たちが習っています。どうしてお金を出してまで習いに行っているのだろう。

昔の記憶をたどります。
自分が筆を持った時のことをイメージします。


半紙に向かっているとき、いつもと違った自分であったような気がします。
心を静めないと良い字は書けません。
心が穏やかでないと、字は乱れます。
書いた字は、心の反映ではないのでしょうか。

我々の日常は忙しいです。
ついつい日常に流されてしまいます。
それは小学生とて同じです。
時には立ち止まり、ゆっくりと振り返ったり見つめ直したりする時が必要なのではないでしょうか。
でもそういうことって、普段の生活の中ではできないですよね。うん、少なくとも凡人のパパねこにはできません。
でも、半紙に向かうと、それができるかもしれません。

そう考えると、習字の時間というのは、必要ですよね。
知識が増えるわけでもないし、体力が向上するわけでもないけど。
昨今の世の中、子どもも大人も、実質的なものばかりを追い求めているように思えます。
会社は今日明日の売り上げを伸ばすことを良しとし、今日の売り上げに繋がらない人間関係や信頼関係の構築を無駄と判断する、という風潮にありますよね。向こう一年の100円より、今日の10円という近視眼です。
こんなことでいいのだろうか。
学校で言えば、年号を1つ覚えるより、自分と対峙する時間の方が有意義ではないか、とパパねこは愚考します。
と言って、自分を見つめているばかりじゃいけないのですけどね。


学校教育って、よく考えられていますね。
感心してしまいます。




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ちゃるこ

私はずいぶん長い間、書道を続けていたので、
できれば我が子にも習わせたいなって思っています。
今でも字を書くことが好きですし、「やってよかった」と
思える習い事の一つです。
大人になってからも通信講座で習っていましたし♪
by ちゃるこ (2011-12-17 23:50) 

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